スラヴ菩提樹の下で宣誓する青年たち  ― スラヴ民族の目覚め ― 
プラハ市民会館壁画

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ルミール
「スラヴ叙事詩」は未完成 ?
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歴史のなかで
 スラヴ叙事詩の中でこの作品は"現代"つまり19世紀後半から20世紀初頭のチェコを描いています
(前景の 「ルミール」 と背景のスラヴィアは古代または伝説)
 チェコを支配していたオーストリアは1867年にハンガリーと手を組んでオーストリア・ハンガリー二重帝国となります。これはチェコをはじめスラヴ系諸民族の抑圧が前提となっておりチェコでは急進的な青年チェコ党が誕生するなど対抗運動が起こります。
 この絵は青年チェコ党員68人が1894年1月に逮捕されたことを踏まえ、青年たちが古代の伝説にならってスラヴ菩提樹の下でスラヴィアに宣誓をしている場面です。スラヴィアへの青年の宣誓は同じ頃に制作したプラハ市民会館の壁画でも描いています。 
未完成?
 『スラヴ叙事詩』 は未完成」と言われることがあります。それは完成後もミュシャが手を入れ続けていたことと宣誓する青年たちの顔が描かれてないためです。実際、完成後初となる1928年プラハのスラヴ叙事詩展ではこの作品を除いて19点だけを公開しました。
 『スラヴ叙事詩』は象徴的な描き方をしています。しかし登場する人物はどれもひとりひとりを特定できるほどリアルに描いているのに この作品だけ顔を描いていないのはミュシャが人物の特定を避けたからだと考えられます。スラヴ叙事詩が発表された当時、政治家として活躍中の人物も含まれていました。現在見られる『スラヴ叙事詩』ではこのようにベタ塗りになっていますがデッサンでは顔をはっきり描いています。ミュシャは特定を避けるために描かなかったまたは塗りつぶしたのか未完成だから顔を描いていないのか、はたしてどちらでしょう。
伝説とともに
 前景には『スラヴ叙事詩展ポスター』の主題にもなった古代の吟遊詩人ルミールを連想させる"ハープを弾く少女"とその音色に耳を傾ける少年を描いています。少女のモデルはミュシャの娘ヤロスラヴァ、少年は息子のイジーがモデルです。
 "ヤロスラヴァ"という名前には「スラヴの春」 「春の祝祭」という意味があります。ミュシャは50才を前にしてはじめて生まれた娘に彼女の幸せとスラヴの未来の希望を重ねて名づけたのです。

テンペラと油彩 1926年  405×480 cm

スラヴ叙事詩