スラヴの春
華やぎを感じる『スラヴ叙事詩』の1点です。1989年に日本ではじめて 『スラヴ叙事詩』 を展示して紹介するにあたってこの作品を選んだのも「スラヴの春」のテーマにありました。
季節は春、イースター(復活節)
の日に、東ローマ帝国皇帝として戴冠したステファン・ドゥシャン (ウロシュ4世 1308-1355、国王在位 1331-1346、皇帝在位 1346-1355)
の行列が民衆の祝福を受けて出発するところを描いています。
1346年、ドゥシャンが皇帝となったことによって、カレル4世(1316-1378、皇帝在位 1346-1378)とともにスラヴ人の皇帝が東ローマ、西ローマ(神聖ローマ帝国)
の両帝国に君臨し、イングランド王国とフランス王国を除く全ヨーロッパが名君のスラヴ人皇帝のもとにありました。スラヴの人たちにとってこの時代はスラヴの春、栄光の時代として今も記憶されています。
セルビアは現在でも民族・宗教紛争の危険をはらむ地域ですが12世紀も諸部族が対立抗争をくりかえしていました。その中でステファン・ネマニャが現れて、十字軍遠征などで混乱していた東ローマ帝国からバルカン半島の南部地域を統一し、セルビア人の国家をうちたてました。
ネマニャ王朝4代目のドゥシャンはセルビアを強大にしてブルガリアを破り、セルビアとギリシアの皇帝、東ローマ皇帝となったのです。『聖アトス山』にある20の修道院のうち中心的な存在で最もよく知られるヒランダル修道院はネマニャ王朝が寄進しました。
1349年には セルビアと東ローマ帝国の法律を整理した成文法の「ドゥシャン法典」を発令し議会を整備するなど、ドゥシャンは政治家・法律家として歴史的に評価されています。
未来の希望
残念なことにドゥシャンは1355年に47才で毒殺されて息子のウロシュ5世の時代にネマニャ王朝は弱体化し、1371年には東ローマ帝国と同盟したオスマン・トルコにのみこまれて滅亡しました。
「スラヴの春」はごく短い期間で終わりましたが、そのためにかえってスラヴの人たちには栄光の時代として記憶に強く残り、19世紀の「汎スラヴ運動」にも影響して、ミュシャ終生のテーマの「未来の希望」になりました。
ステファン・ドゥシャンの戴冠はミュシャが『スラヴ叙事詩』を制作する原動力のひとつでもあるのです。