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 西暦880年、スラヴ語の礼拝式を承認しメトジェイを大司教に任命するローマ教皇の手紙を読みあげているところです。画面中央、円形の建物の前に立つ白髪の老人が聖メトジェイです。(聖ツィリルはこれ以前に亡くなっています。)

大モラヴィア国のスラヴ式礼拝式の導入

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大モラヴィア国のスラヴ語礼拝式導入 (863-880  ― 母国語で神に祈る ―  
テンペラと油彩  1912年  610 × 810 cm

スラヴ叙事詩

スラヴ人の国
 大モラヴィア国は最初のスラヴ人国家です。ゲルマン民族の大移動に伴ってスラヴ人たちが移住し現在のチェコ、スロヴァキアだけでなくハンガリー、ポーランド、オーストリアのかなりの部分を含む広大な国家を建設しました。
 ビザンティン帝国から大モラヴィア国に派遣された聖ツィリル
(827-869)と聖メトジェイ(826-885)はスラヴ人の言葉をつかって礼拝をとりおこない、スラヴ語の説教でキリスト教を広めただけでなく、スラヴ語を表記するグラゴール文字を考案して聖書の一部を翻訳しスラヴ文化の発展に寄与しました。(現在ロシアやウクライナ、ブルガリアなどで使われている「キリル文字」はツィリル(キリル)らが作ったグラゴール文字を弟子たちが改良したといわれています。)
スラヴの言葉で

 ラテン語やギリシャ語ではなく自分たちの言葉で礼拝をおこなうことは言葉を大切にするスラヴの人たちにはとりわけ重要なことでした。「スラヴ」ということばには「儀式」「祝典」「言葉」というニュアンスが含まれており、現代チェコ語でも Slavnost、 Sláva は「名誉」や「名声」、Slavit 「ほめたたえる」、Slovo 「言葉」、「約束」、「発言」、「スピーチ」など言葉にかかわる意味を表します。
 当時のヨーロッパではキリスト教を受け入れることはいわば「文明開化」にあたり、大モラヴィア国では母国語でのキリスト教導入によってスラヴの言葉による文化が花開きました。
 しかし、豊かな文化の時代は長く続かず画面左上から迫ってくるドイツ系のカトリック司祭にとって替わられ大モラヴィア国も滅んでしまいます。離散した聖メトジェイの弟子たちはブルガリアで保護されシメオン1世のもとでスラヴの文芸文化の花を開かせることにつながるのです。
ステンドグラス
 プラハ城の聖ヴィタ大聖堂にはミュシャの美しいステンドグラス
(1931年)があります。ステンドグラスのテーマも聖ツィリルと聖メトジェイです。ヴィタ大聖堂は聖ヴァツラフ一世の10世紀のいしずえの上に14世紀にカレル4世が聖堂を築きはじめ、20世紀になってチェコ国民の寄付によって完成しました。数百年かけて築いた大聖堂にミュシャはスラヴの文化と歴史の起点ともいえる聖ツィリルと聖メトジェイを描いたのです。