目がとらえる
こちらを見つめる少女の目が印象的なポスターは、ミュシャ自身2回目の個展のポスターです。口もとを手でかくしているため、ポスターを見る人の視線は目により強くひきつけられます。
2月のボディニエール画廊に続いて、1897年6月にラ・プリュム芸術出版社の画廊「サロン・デ・サン」で開いた個展で、油絵、パステル、デッサン、リトグラフなど448点もの作品を展示しました。
「サロン・デ・サン Salon de Cent」は、直訳すれば「100のサロン」、百選展という意味です。日本でも、デパートの催しなどに○○百選展とか○○百選街と銘うつのは、「サロン・デ・サン」の名前を参考にしています。
髪が導く
少女の目にとらえられた人の注意は、目から少女が持つ紙の「ハート」と「輪」の模様、さらに長く伸びる髪に導かれてミュシャの展覧会がボナパルト通りで開かれていることを知ります。たまたまポスターの前に通りかかった人の注意を引きつけて、ポスターの情報を伝える優れたデザインです。
少女はチェコの民族衣装と頭飾りをつけています。人気が高まるとともに、そのエキゾチックな美しさから、「ミュシャ」とはいったい誰か?どこの人だろう?と人々の関心を集めていました。ミュシャは、少女の頭にモラヴィアの野に咲くひな菊を飾って、自分がモラヴィア出身のチェコ人であることを明らかにしたのです。
ハートとハートをとりまく3つの輪は、当時からルグランはじめ、いろいろな解釈で注目を集めました。「あざみ」、「茨の輪」、「ハート」 はキリスト教的なシンボルです。しかしミュシャにとっては、スラヴ連帯の運動「ソコル」をあらわしており、ミュシャの描くハートはチェコの国の木、スラヴ菩提樹のハート形の葉をあらわしています。
「明星」 にも
このポスターのデザインは与謝野晶子が活躍していた雑誌 「明星」 が第7号 (1900年)の挿絵にとりいれ、その後もたびたび使っています。与謝野鉄幹も『明星』のデザイナーも、このポスターのすぐれた効果をよく理解していたからでしょう。
ただし明星の挿絵は、オリジナルのポスターとはデザインの重要なポイントに違いがあり、明星のデザイナーたちはポスターではなく「ラ・プリュム誌」のミュシャ特集号(1897年)を参考にしていたことがわかります。

1897年2月にミュシャがはじめての個展を開いたボディニエール画廊も第一線の画家たちが展覧会を開くなど当時のパリではよく知られた画廊だった。
ボディニエール画廊スタンラン個展 1894年
T.A.スタンラン(1859-1923)
「サロン・デ・サン」があったパリ ボナパルト街 31番地 (現在)
頭にヒナギクを飾り 三つの輪のあるハートとスラヴ菩提樹を持つ少女
ブルックリン美術館のミュシャ展 カタログ表紙より 1921年 (部分)
スラヴ菩提樹の葉。ハートの形をしている。
スラヴ菩提樹はチェコの国の木に指定されている。
『サロン・デ・サンのミュシャ展』デッサン
(ラ・プリュム誌より)
「与謝野晶子とミュシャ」展ポスター
(2006年)
アルフォンス・ミュシャ館
与謝野晶子文芸館
「明星」第7号の挿絵 (1900年)
"一筆啓上"は鉄幹が執筆するコラム
"口もとを隠して、視線をモデルの目に集め、注意を商品に導く"ポスターデザイン。
資生堂アートディレクターとして広告デザインに一時代を築いた中村誠(1926-2013)さんは、ミュシャがお好きだっただけでなく、ミュシャのデインを深く理解しておられ、東京、盛岡などで開催したミュシャ展会場にたびたびおいでくださいました。
『資生堂ネイルアート・資生堂フレッシュアイズ』 1973年 (左)
『資生堂 練香水 舞』 1984年 (右)
アート・ディレクター 中村誠 写真 横須賀功光
ミュシャの故郷をあらわす"ヒナギク"の花は、プラハやニューヨークのスラヴ叙事詩展展覧会カタログ、ポスターでもチェコを象徴する少女の頭を飾っている。
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サロン・デ・サンのミュシャ展
リトグラフ 1897年