シャンプノワ
 ミュシャのもっとも人気のある作品です。
「黄道十二宮」 は、シャンプノワ社(リトグラフ制作工房・美術出版社)のカレンダーでした。 シャンプノワと親しいラ・プリュム芸術出版社がノベルティに使ったことが 「黄道十二宮」 とミュシャの名を広め、 ラプリュム社、シャンプノワ社に成功をもたらしました。
実用の装飾
 ミュシャは 「黄道十二宮」 のカレンダーを時の象徴で飾りました。 黄道十二宮 Zodiac の名のもとになった1年を表す星座、不滅のシンボルの月桂樹、昼と夜を表す日月、昼と夜の象徴 ヒマワリとケシなどです。 スケッチの段階ではこのほかにも昼と夜を象徴する二人の女性を描き日月も女性の顔であらわしていましたが、ビザンティン風の豪華な宝飾の女性をより効果的にするため全体を単純化する方向を選び二人の女性像は不滅を表す月桂樹に代えられました。
 装飾的な髪がミュシャの特徴といわれアール・ヌーヴォーに特徴的な曲線とされています。 しかしミュシャの髪は単なる飾りではありません。 見る人の注意を女性の顔とビザンティン風ティアラでひきつけ、集めた視線を渦巻いてのびる髪がカレンダーへと導くという実用的なはたらきをしています。 女性をかこむ星座にもティアラの飾りも注意を女性の顔に集める効果があります。 実用的な効果を引きだすデザイン・テクニックこそ生活の芸術化を理想とするアール・ヌーヴォーの特徴なのです。
異教の女神
 アール・ヌーヴォーの万博とされる1900年のパリ万国博覧会は別名 「電気の万博」 と呼ばれています。 当時、電気は新しい光、新しい動力として注目されていたのです。 万博会場には電光イルミネーションを飾り、 エスカレーターや電動の歩道が人々を運んでいました。
 ミュシャは万博の公式ガイドブックをデザインし、オーストリア・ボスニアヘルツェゴビナ・パヴィリオンのインテリア・デザインで銀賞を得るなど注目を集めました。 ミュシャのパリ万博での活躍はそれだけでなく 「異教の女神」 と題した彫刻を発表して話題になります。 女神の頭部には小さな電球が取りつけてあり 「新しい光」 を輝かせていました。 現在は 「ラ・ナチュール
(自然) 」 と呼んでいるこの彫刻は、ミュシャがデザインしてセスという若い彫刻家とピネド・ブロンズ工房につくらせたものですが、「黄道十二宮」 を立体化した造形です。 現存する 「ラ・ナチュール」 4体はどれも頭部には宝石を飾っています。
ラ・プリュム
 文芸芸術を象徴する羽根
(プリュム 羽根ペンをを表す) を社名にするラ・プリュム芸術出版社の社主レオン・デシャンは、サロン・デ・サン (百選展) と名づけた展示スペースを開設して新しい芸術 (アール・ヌーヴォー) の普及に力を 注ぎました。
 ミュシャが世に知られるきっかけはサラ・ベルナールのポスター 「ジスモンダ」 でしたが、雑誌やカレンダー、リトグラフの装飾パネルをラ・プリュムやシャンプノワが安い価格で一般家庭に届けたおかげで今日までつながる流行画家になりました。
 ミュシャの才能に早くから注目し作品制作を促したレオン・デシャンこそがミュシャを世界中に広めた育ての親といえるでしょう。

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黄道十二宮
黄道十二宮

ラ・プリュム誌のカレンダー

ラ・プリュム誌のカレンダー (1896)

夜をあらわす月とケシ

昼をあらわす太陽とヒマワリ

四季

夢想

花と果物

三季節

四芸術

四つの時

羽根 桜草

四つの宝石

つたと月桂樹

四つの星

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どる




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"異教の女神" 「ラ・ナチュール」
 黄道十二宮 を立体化したブロンズ彫刻 (1900年)

ラ・プリュム芸術出版社、サロン・デ・サンがあった建物 (左) とレオン・デシャン (右)

装飾パネル

リトグラフ 1897年
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