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贋作で知るミュシャの魅力

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 「ミュシャ展」が各地でさかんに開かれていてミュシャ・ファンにはありがたいことです。しかし、広島・福岡・京都・名古屋・熊本・天童を巡回しているチェコ人コレクターによる「ミュシャ展」では、ミュシャでない贋作、後世の模写や複製品を「ミュシャ・オリジナル」と称して多数展示しています。
 美術館や展覧会にあってはならない問題ですが、。一方で「贋作」を通してミュシャがどのような画家なのかや、コレクターやファンがミュシャをどのように見ているかなどを考える、興味深い機会でもあります。
 著名作や優れた作品の蒐集は大切ですが、贋作や複製など不良品を全く含んでいないことがコレクションの質と価値には決定的に重要です。
 ミュシャの人気につれ、1980年代には贋作を世界的オークションが出品したり、複製リトグラフを「再創造」といってミュシャ財団が高額販売しはじめた1993年以降、「複製品」を「オリジナル」と詐称する「贋作」が出回るようになりました。今回のチェコ・コレクター展が贋作を多数展示しているのも近年のミュシャ人気の残念な反映といえます。

 ミュシャの緊密な画面構成は贋作には見られず、絵の具の塗りムラ、雑然とした画面を見るだけで素人の絵とわかります。自然観察すらできていない稚拙な図案化はミュシャにはあり得ません。
 ヒナゲシ(コクリコ)は、フランスでもチェコでも国土をあらわす花とされています。
『ムース川のビール』、『LUビスケットのラベル』は、フランスをあらわし『チェコ周遊旅行写真集』の表紙ではチェコの土地を象徴しています。「ヒナゲシ」を描くときミュシャは細心の注意で作品にしています。

ミュシャ オリジナル作品
『装飾資料集』から (部分)
贋作
「ブローチ 少女と真珠」
オリジナルではない模倣品
「花瓶 ビザンティン風の頭部」
 ミュシャ・オリジナルの『ビザンティン風の頭部』リトグラフには周囲の装飾模様はありません。
 シャンブノワ社が1897年から1898年にかけて、周囲に装飾を加えたものやカレンダーに仕立てたものなど5種類の販売用アレンジ商品を出版しました。それ以外、飾り皿に仕立てたものなどはすべて後世の複製品です。
 ミュシャの人気を証す参考品にはなりますが、複製品をミュシャ作品として美術館、展覧会や販売の場で扱うと贋作になってしまいます。
模造品 作者の間違い
「ボタン 演劇「鷲の子」のサラ・ベルナール」
左 『鷲の子』舞台衣装を着けたサラ・ベルナール (写真)
右 『鷲の子』でサラ・ベルナールがつけていたカフスボタン オリジナル
 「香水瓶 二輪のアイリス」は、ミュシャとは関係なく現代に作られたもので1901年製ではありません。瓶の造形も、アイリスのデザインもミュシャではありません。
 瓶の底に刻まれているサインはミュシャ財団のロゴに酷似しており、ロゴを写したかあるいはミュシャ財団の販売品だったかもしれません。
現代の販売品
「香水瓶 二輪のアイリス」
 贋作ではありませんが、タイトルの「ポスター 黄道十二宮」は間違い。『黄道十二宮』に「ポスター」はありません。
 正しくは『ラ・プリュム社のカレンダー 黄道十二宮』ですが、完全な作品ではなく一部を切り取った「残欠」です。カレンダーの主要部と上部の文字の一部が欠けており、作品の確認を怠って「ポスター」と誤解したでしょう。
 『黄道十二宮』は女性の美しい横顔に人気があります。しかしこの作品でもっとも重要なのは切り取られたカレンダー枠です。
 ミュシャは見る人の注意がカレンダー部分に向くよう、左右に「太陽」と「月」、「ヒマワリ」と「ケシ」を配しています。「ヒマワリ」は昼、「ケシ」は眠りをあらわし夜の象徴です。そしてカレンダーへ視線を運ぶために流れる髪を描き、作品全体に目をひく仕掛けとしてアイキャッチャーの女性の横顔と豪華な宝飾を描きました。『黄道十二宮』の人気がこれほど高いのはミュシャの戦略が成功しているからです。
 『黄道十二宮』は、最初はシャンブノワ社の、続いてラ・プリュム社1897年用カレンダーでしたが、翌年になってカレンダーの役目が終わったあとも人々はそのまま美しい絵を飾り続け、飾るために求めました。
 美しい絵、美しい女性に魅力を感じて飾りたいと思うのはミュシャファンには自然なことです。しかし、美術館や展覧会では一部が欠けた残欠であって完全な作品でないことを明示し、ミュシャのデザイン意図がわかるようにしなければなりません。たとえ「残欠」であっても最初期の『黄道十二宮』に触れる貴重な機会です。美術館として正しく調査する姿勢が少しでもあれば間違いを防ぐことができた以上に、ミュシャ・ファンを作品の魅力へ導く絶好のチャンスにもなったでしょうに、たいへん残念です。

 イヴァンチッツェ・ミュシャ記念館には、ミュシャが18才で描いた『塔』の絵があります。
 18才のミュシャは、ブルノから戻って父の配慮で裁判所書記になりましたが、役人には不向きと自覚してプラハの美術学校入学を希望するも「才能が十分でない」という理由で受験すら許されませんでした。
 書記の仕事に戻りますが「わかりやすいから」と訴訟資料を絵で描いたのが問題になって裁判所をクビになり、新聞広告で舞台美術工房の職を得てウィーンに向かう大きな転機にありました。
 希望と不安のなかで向き合って描いた『塔』です。

 左側は贋作の出品物、右がミュシャのオリジナル・デッサンです。
 オリジナルはモラヴィア国立美術館(Moravská galerie v Brně)の所蔵で、春、夏、秋、冬、4点のデッサンです。1983年、1989-91年に開催した「ミュシャ展」で日本でも展示しました。
 贋作の生硬な描線はミュシャの描く線ではなく、構図のバランス、水彩の筆づかい、品位、どれをとってもミュシャではない、素人の稚拙な模写です。贋作の様子からモラヴィア国立美術館の「ミュシャ展」(2009年開催)図録を写したとわかります。
 悪意でないミュシャ・ファンの模写がコレクターに渡った可能性も考えられますが、模写を作品として扱えば贋作になります。

 ポスターや装飾パネルに人気がありますが、ミュシャの素描、とくにパステル・ドローイング類は非常に優れており、特筆すべきジャンルです。
 習作や下絵であれパステル画であれ、ミュシャの描線は柔らかく一見茫洋とかすんでいるようでいて、細心の注意を払った自然の観察と深い洞察にもとづく的確な描画は、デッサン力に卓越したミュシャならではの奥行きのある表現で、他の誰にも真似のできるものではありません。

ミュシャ オリジナル 『黄道十二宮』 (部分)
目線をカレンダー枠へ導く「髪」の流れ
 「干し草をかき集める少女」と「上着を縫う少女」、どちらもミュシャではない贋作です。
 ミュシャは意味もなく日常の光景をスケッチする画家ではありません。ミュシャの素描は動きがあって表情も豊かです。わずかな陰影で立体感をあらわし、贋作のように無表情で動きの乏しいものはありません。贋作の影の描き方はミュシャにはない、初心者のものです。
 似せたつもりを隠そうとしてか、サインは雑で不自然です。
タイトル間違い 残欠(作品の一部)
「ポスター 黄道十二宮」
贋作

 贋作ブローチには、ミュシャらしい動きのある装飾性は見られません。
 それらしく作ったつもりでしょうがミュシャのデザインではありません。
 アール・ヌーヴォー期の工芸には、アール・デコとは異なる特有の機能性合理性があります。そのような理解もない単調で稚拙な造形です。

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ミュシャ オリジナル 『黄道十二宮』 (部分)
文字をカットしているためポスターと誤解したか
ミュシャ オリジナル 『黄道十二宮』 (部分)
カレンダーに注目を誘う横顔と宝飾
ミュシャ オリジナル
『黄道十二宮』 のカレンダー
『ジョブのポスター』 (部分
『スラヴィア』 (部分) プラハ国立美術館
贋作
「油彩画 鏡を持つ少女」
ミュシャ オリジナル作品

『チェコ周遊旅行写真集』 表紙

『LUビスケット』  ラベル

『ムース川のビール』 ポスター

ミュシャのオリジナルデザインの額 
左 『スラヴィア』 プラハ国立美術館    
右 『ジャンヌダルク』 メトロポリタン美術館
贋作
「水彩画 ヒナゲシ」
贋作
「彫刻 春 胸像」 
ミュシャ オリジナルデザイン G.フーケ作のブローチ
『遠国の姫君 メリザンドのサラ・ベルナール』
ヘッセン州立博物館
ミュシャ オリジナルデザイン A..トルフィエル作
『遠国の姫君のメリザンド
贋作
「置時計 胸像 四季 春」
ミュシャ オリジナルデザインの胸像
『ラ・ナチュール(自然)』 土居君雄コレクション
ミュシャ オリジナルデザインの胸像
『フーケ宝飾店の彫刻』 カルナヴァレ博物館

 贋作の彫刻はどちらも販売用装飾品。ミュシャ・オリジナル・デザインの彫刻にある象徴性テーマ性は見られません。

贋作 サイン偽造
「素描 テレザ・トラブル」
贋作 サイン偽造
「素描 テレザ・トラブル」
 どちらもミュシャのサインではありません。もちろん絵もミュシャではありません。
 ミュシャ作品を知っている人だけでなく、誰が見ても疑問に思うレベルの愚かな偽造サインです。
左側 「素描 テレザ・トラブル」にある偽造サイン
右側 「素描 テレザ・トラブル」にある偽造サイン
贋作 サイン偽造
「素描 干し草をかき集める少女」
ミュシャ オリジナルのデッサンとサイン (部分)
土居君雄コレクション
贋作 サイン偽造
「素描 干し草をかき集める少女」 (部分)
オリジナルではない複製品
「装飾皿 ビザンティン風の頭部」 左 ブロンド 右 ブルネット
ミュシャ オリジナルリトグラフ 周囲に装飾をほどこしていない
『ビザンティン風の頭部 ブルネット ブロンド』
タイトル、制作年代の間違い 作者の間違い
「ブローチ アザミ」
 「ブローチ アザミ」のデザインはミュシャですが、ミュシャの作品ではありません。現代に制作したものです。「アザミ」ではなく「菊の花」をブローチにデザインしており、タイトル、制作年代、制作者、どれも間違っています。
 
ミュシャの息子イジー(Jiří Mucha 1915-1991)は、彼の娘でミュシャのただ一人の孫ヤルミラの造形作家としての才能を認め、父アルフォンス・ミュシャがデザインだけを残した装飾品や食器などの現実化(Realization)計画を2人で進めました。計画進行中の1991年にイジーは亡くなりましたがヤルミラさんは今も計画を継続しています。2017年には東京六本木のミュシャ展会場と駐日チェコ大使館チェコ・センターでも成果の一部を展示しました。
 この計画でヤルミラさんが現実化した作品の一つがこのブローチで、2009年プラハとクロムニェジージュで開催したヤルミラさんの展覧会で展示していました。もちろん、タイトルは「アザミ」ではなく『菊のブローチ』とチェコでも日本でも明記しています。
この後にコレクターの手に渡ったのでしょう。劣悪な保管のせいか、わざと古色をつけようとしたのか、以前はなかった汚れが目立ちます。
 「ブローチ アザミ」は、正しくは現代にヤルミラさんが現実化した『菊のブローチ』で、1900年のミュシャ作ではありません。ミュシャデザインによるヤルミラ・ミュシャ・プロツコヴァー Jarmila Mucha Procková さんの作品『菊のブローチ』です。
 正当な「作品」ですが、「1900年のミュシャ作品」として間違った展示すると「贋作」になります。

ミュシャ オリジナル
『装飾資料集』 から 『菊をデザインしたブローチ』(部分)
ミュシャ オリジナル作品
『装飾資料集』 から
プラハで開催した 「ヤルミラ・ミュシャ・プロツコヴァーによるミュシャ オリジナル・デザインの現実化( Realization)展」(2009年 チェコ、クロムニェジージュでも開催)
左 『装飾資料集』 菊のブローチ    中 『装飾資料集』のアクセサリー展示コーナー    右 会場のパネルから ヤルミラさんとミュシャの写真
 解説では、サラ・ベルナールが『鷲の子』の舞台で実際に身につけたボタンとしていますが、『鷲の子』舞台衣装のボタンは白い布でくるんだ「くるみボタン」です。金属ボタンは使っていません。
 サラ・ベルナールの写真、ポスター、ポストカード、いずれもボタンは白です。1900年の舞台だけでなく、1901年にモード・アダムスが演じた時もボタンは白でした。ただ、カフスボタンは、サラもモード・アダムスも、金メッキの金属製をつけています。
 展覧会出品物は、『鷲の子のカフスボタン』のデザインをのちに模造してボタンに仕立てたものです。サラ・ベルナールが実際につけていたものではなく、模造品をミュシャ作とすれば贋作になります。

『鷲の子 L'Aiglon』 のサラ・ベルナール (ポストカード 部分)

 ミュシャの描く「髪」は意図と役割があり、奔放に見えて見事なバランスを保っています。しかし贋作の髪は抑制がなく乱雑でデザイン意図もなく、のたうつ蛇のような不快感があります。「唯一無二のオリジナル作品」と宣伝していますが贋作です。このような愚かで下手な絵はミュシャにはありません。
 ミュシャ作品にはメッセージ性とそれによる品位があります。しかし贋作にメッセージなどないのはもちろん、ポーズ、手指、頭のヒナゲシ、スコップのような手鏡はどれもデッサンがくずれ、バランスを欠いています。劣悪なカンバスと併せて、ミュシャの絵ではありません。
 額縁もミュシャ・オリジナルと解説していますが、ミュシャの額にこのような平凡なものはなく、それぞれに意味を込めたデザインです。

 贋作
「水彩画 四季:春の習作」
 『イヴァンチッツェの思い出』 オリジナル
モラヴィア国立美術館
贋作
「生まれ故郷 イヴァンチッツェの思い出」 (部分)
贋作
「生まれ故郷 イヴァンチッツェの思い出」
 チェコ・コレクターの「ミュシャ展」には「生まれ故郷、イヴァンチッツェの思い出」があり、これも模写を真作と詐称する贋作です。
 オリジナルはモラヴィア国立美術館
(Moravská galerie v Brně)所蔵で、ふだんはイヴァンチッツェ市のミュシャ記念館に展示しており個人の所有物ではありません。
 背景に見える「イヴァンチッツェ教区聖母被昇天教会塔
(鐘楼)」は、イヴァンチッツェ市のシンボルというだけでなく外敵の来襲から護る11、2世紀の望楼を鐘楼にした歴史があり、9世紀頃から町の歴史とともにあったムハ(ミュシャ)一族らイヴァンチッツェ市民の誇りであり、塔のすぐ前で生まれ鐘の音を聴いて育ったミュシャ自身にとっても人生の節目ごとに向き合ってきた、まるで自分自身を映す鏡のような大切な存在でした。
 ミュシャは『イヴァンチッツェ地方展のポスター』、『スラヴ叙事詩』の『クラリッツェ聖書の印刷』などに「塔」を繰り返し描いており、ミュシャ個人の思い出から町のシンボル、さらにチェコの歴史の栄光と挫折をあらわす象徴へ進化する様子がわかります。卓越したデッサン力のミュシャが「塔」を実在と異なって雑に描くなどあり得ません。
 「塔」の脇、遠景にも小さな教会堂が見え、そこに目が行くようにオリジナルでは描いています。イヴァンチッツェの歴史の重要な教会堂です。贋作も教会堂らしいものを写していますが、自分の目で「塔」を見ていない贋作者は、遠景の教会堂とイヴァンチッツェ聖母被昇天教会の歴史も、ミュシャの構成意図も理解しないまま展覧会図録図版を模写しています。またオリジナルの「群れ飛ぶツバメ」はデザインの要ですが贋作者もコレクターもその意味も理解していません。
贋作 サイン偽造
「素描 上着を縫う少女」
贋作 サイン偽造
「素描 上着を縫う少女」 (部分)
『鷲の子 L'Aiglon』 のポスター サインはあるがミュシャ作ではない。
 『イヴァンチッツェの思い出』 オリジナル (部分)
ミュシャが18才の時に描いた『聖母被昇天教会の塔』
モラヴィア国立美術館
現在のイヴァンチッツェ聖母被昇天教会塔 写真 
オリジナル・デッサン
 『春 装飾パネルの下絵』
モラヴィア国立美術館