3人のヤン
 チェコの歴史には3人のヤンが深くかかわっています。
 ("ヤン Jan"という名前はキリストの使徒ヨハネに由来し、英語の"ジョン John"、フランス語の"ジャン Jean"にあたるごく普通の名前なので3人のほかにもヤンはいくらでもいるのですが、、、、。)
フシネツのヤン
 ヤン・フス (Jan Hus, Jan Hsinecký 1369頃-1415)。プラハ南西フシネツの出身なのでフシネツのヤン、ヤン・フスと呼びます。
 イギリスの教会改革論者ウィクリフに共鳴してプラハでも教会の改革を訴えましたが、ローマ・カトリック教会はフスを異端として一方的な審問の末に火あぶりの刑で殺してしまいます。
 フス処刑に抗議する声を、皇帝と教会は異端撲滅の十字軍を送って武力で圧殺しようとしたため、反抗的になった民衆は十字軍を撃退し、国王を廃してフス教徒によるボヘミア王国をうちたてようと立ちあがり、ボヘミア(チェコ)全土に戦火が広大しました。
 ヤン・フスはヒゲをたくわえた姿で描かれることが多く、ミュシャも「教父ヤン・フス」の挿絵にはヒゲがありますが、市民会館壁画と「スラヴ叙事詩」ではヒゲを描いていません。当時の聖職者はヒゲを剃る習慣だったので史実ではヒゲはなかったようです。
トロツノフのヤン
 ヤン・ジシュカ(Jan Žižka 1374頃-1424)はボヘミア南部トロツノフの没落貴族でした。
 没落貴族は日本でいえば貧乏浪人です。やとわれて戦争で稼ぐ傭兵になったり、中には食いつめてヤクザまがいのなりわいで暮らす者もいました。のちに天才的軍事指導者といわれるヤン・ジシュカもそのような厳しい生活の中でさまざまな経験を積み戦術を身につけていったのでしょう。1410年のグリュンヴァルトの戦いでは傭兵隊長として実績をあげるようになっていました。
 その後プラハで王宮武官をしているころヤン・フスの説教を聴き支持者になったといわれています。フスの死後はなかば引退していましたが、プルゼニュ(ピルゼン)市の警護をしていたところを乞われて急進派のたてこもるターボルに向かいます。
 戦いの経験などない農民中心の群衆を訓練して組織化し、銃火器をとりいれて改良したり、農用荷車に装甲をしてならべ戦車にも城塞にもするなど、連戦連勝向かうところ敵なしの戦いをくりひろげたため、皇帝軍や十字軍はジシュカ軍の歌う讃美歌が聞こえただけで敗走するほど恐れられました。
 ジシュカは1424年に病死しますが、彼に鍛えられたターボル軍は後々まで恐怖とされていました
ネポムクのヤン
 聖ヤン・ネポムツキー(Svatý Jan Nepomcký 1330頃-1393)。Svatýは英語のSaintと同じく聖人をあらわすチェコ語です。
 「ベツレヘム教会で説教するヤン・フス」の画面右側には、天蓋の下でフスの説教を聴くボヘミア王ヴァツラフ四世の王妃ゾフィアとこちらを見る侍女が描かれています。プラハ大司教総代理を務めていたヤン・ネポムツキーは、大司教と対立する王から王妃ゾフィアの告解内容を明かすよう強要されますが拒否し、そのために殺されました。遺体はカレル橋からヴルタヴァ(モルダウ)川に投げ捨てられましたが、発見されて埋葬されました。
 その後300年もたった18世紀にカトリック教会が調査して、舌がそのまま腐っていなかったという"奇跡"によって1729年に列聖(聖人になること)されました。川に投げ込まれたとき、川面に5つの星が浮かび、ナツメヤシの枝を持つ天使があらわれたといわれています。水害の守護聖人だそうで、カレル橋にあるネポムクの像の銘板をさわると幸せになるともいわれます。プラハ城聖ヴィタ大聖堂には巨大な銀製のネポムクの棺が安置されています。
2人のヤン
 ネポムクのヤンは実在したことは確かですが、聖人になったいきさつや実在感などがいまひとつわかりにくい人物です。
 カトリック教会とボヘミアを支配した皇帝ハプスブルク家は、何百年にわたってフス派の信仰を徹底的に抑圧してきました。しかし、ヤン・フスとヤン・ジシュカに憧れるチェコ人の心は変わりませんでした。フス派の信仰とジシュカを慕う民衆の蜂起を恐れるカトリック教会は、ネポムクの"ヤン"を列聖して守護聖人とし、ネポムク信仰を広めることで人々の心からフスとジシュカ、"2人のヤン"を消し去ろうとしたのです。
 用済みになったのでしょうか、20世紀になってネポムクのヤンは、1963年に聖人から除外されています。

クジージュキ

ヤン・フス プラハ市民会館壁画

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ネポムクのヤン没後600年 記念切手
 (1993年 チェコ共和国)

カレル橋のヤン・ネポムク像
右下にある銘板は触られて金色に光っている

ヤン・ジシュカ プラハ市民会館壁画

ネポムクのヤン 「バロックの小天使」挿絵
5つの星を背負いナツメヤシの枝を持っている