大モラヴィア国のスラヴ式礼拝式の導入

はじめての国
 大モラヴィア国は最初のスラヴ人国家です。 ゲルマン民族の大移動に伴ってスラヴ人たちが移住し、現在のチェコ、スロヴァキアだけでなくハンガリー、ポーランド、オーストリアのかなりの部分を含む広大な国家を建設しました。
 ビザンティン帝国から大モラヴィア国に派遣された聖ツィリル
(827-869) と聖メトジェイ (826-885) がスラヴ語で説教をしてキリスト教を広めただけでなく、スラヴ語を表すグラゴール文字を考案して聖書の一部を翻訳しスラヴ文化の発展に寄与しました。 (ロシアやウクライナ、ブルガリアなどで現在使われている 「キリル文字」 は、ツィリル (キリル) らが作ったグラゴール文字を弟子たちが改良したといわれています。)
 しかし、豊かな文化の時代は長く続かず、左上から迫ってくるドイツ系のカトリック司祭にとって替わられます。

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大モラヴィア国のスラヴ語礼拝式導入 (863-880  ― 母国語で神に祈る ―  
テンペラと油彩  1912年  610 × 810 cm

シメオン皇帝