文学美術雑誌
ミュシャは文学や演劇に終生かかわっていました。
当時、パリでは多くの文学美術雑誌が創刊され、ミュシャは『ラ・プリュム』、『ココリコ』などの表紙や挿絵を手がけました。 なかでも『ラ・プリュム』誌とは深い関わりを持っています。
1886年のモラエスの象徴主義宣言以降に創刊された雑誌の多くが象徴主義の影響を受けており、ミュシャの『ラ・プリュム』誌表紙デザインも象徴主義的な表現になっています。
ラ・プリュム芸術出版社
『ラ・プリュム』誌の 「plume」は、「羽根」を意味するフランス語でし「羽根ペン」を表し、文学や評論などの文学芸術の象徴です。ミュシャの『サロン・デ・サン第20回展』ポスターにも「羽根」を持つ女性を描いています。
「ラ・プリュム芸術出版社」は1897年6月に自社の展示ホール「サロン・デ・サン」でミュシャ作品展を開催し、それにあわせて『ラ・プリュム』誌はミュシャ特集号を発行するなど、ミュシャ紹介に力を入れています。
ミュシャはサラ・ベルナールによって有名になったといわれていますが、ミュシャの才能に注目し世に広めたのはサラではなく、「ラ・プリュム芸術出版社」社主のレオン・デシャン(1864-1899)でした。」
『ラ・プリュム』誌と 美術文芸誌『明星』
日本でも文学美術雑誌のさきがけとなった『明星』が1900年に創刊されました。『明星』はミュシャのポスターを挿絵にとり入れていますが、『明星』に掲載しているミュシャ作品はすべて『ラ・プリュム』誌ミュシャ特集号に載っていること、それまではタブロイド判だった『明星』のスタイル(判型)が、ミュシャのポスターが登場する第6号から『ラ・プリュム』誌と同じスタイルに変るなど、『ラ・プリュム』誌が日本にもたらされていて与謝野鉄幹や『明星』のデザイナーたちに直接に影響を与えていたことがうかがわれます。
『ラ・プリュム』誌